夕暮間近の遊楽をぶらぶら歩く
夏も近いからか薄衣の浴衣でも汗ばむ湿気は確実に自分の体力を奪うがそれも昼間の事、昨日のような熱帯夜は勘弁願いたいが、昼間の汗を夜風が撫でていくこの瞬間は嫌いではない
悲しいことに夏祭りはとうに過ぎてしまったが、大江戸七つ町の中心街、裏通りを歩けば飴細工くらい売っているだろう
しかしいかんせん、ココは遊楽、花街
一人で裏通りなんて歩いたら、女達の餌食になるのは考えなくてもわかるし、運が無ければ追いはぎにもあってしまうだろう
きらきらと輝く光と甘く誘うように薫る匂いに飴も女も大差はないが代償がでかすぎる
自分も一人身故に出来れば飴の硬さより女の柔肌を堪能したくわざわざ大通りをずかずか歩く俺に、女は挨拶程度に一言二言声をかけるだけで誘ってはくれない
まぁ今は使いをしている身なので甘い誘いに乗るわけには行かないが、食わぬ据え膳なんとやら、そういえば最近自慰すら出来ていないことにも気付く
………人使いが荒いから、主は
働き盛りの若い盛りとは言え、健全な男子を何だと思ってくれると泣いて呟いても何もならない、というか、毒だ、こんなトコに居る事自体(じゃあ来なかったらいいんだが、目の保養も兼ねているので何も言わない)
勿論俺には女を買う金はないし買うつもりも無い、あっちだって同業者に春を売る物好きもいないだろう、しかし諦めきれない物は諦めきれないとぶちぶちと口の中で文句を言ってみるが何もならない
と、いうか主に聞かれてたら大変だ、アイツ冷徹なくせに陰険だし、人の話を聞かないくせに地獄耳だし
俺は1回ため息を吐いた後、懐に入れた届け物を確認した
走って速めに店に帰ろう、その方が良い、そろそろうちにも客が入ってくる頃だし、他の遊楽にも人が集まってくるし大通りをぶらぶら歩くには、俺には金が無さ過ぎる
……でもね色っぽい御姉さまの隣を見て見ぬ振りして通り抜けるのは辛いんだぜ
そんな感じで俺は駆け出そうとした
「そんな急いで何処行くんじゃ」
にゅるり、と蛇のようにまとわりつく甘い声が鼓膜に響く
駆け出した足が絡まってこけそうになったが、何とか堪えて振り向くと仁王サンが居た
俺を見て、にやにやと笑っていた
「こんばんわ、仁王サン」
「あいあい、こんばんわこんばんわ、良い日よりじゃのう」
「もう夕っすよ」
「俺にとっては朝じゃよ」
のほほほほー、と仁王サンは花魁のように袂で口元を隠しながら笑った
――まぁ、花魁なのだが
俺はぼりり、と頭を掻いた
仁王雅治サン
ここ花街一番の美男子で稼ぎ頭で博打打
外見を説明すれば、背丈はすらりと高く、その身に軽く女物の襦袢を纏っている
そこから伸びる真白の腕と脚はより細いく、やたら長い
何を食べたらそうなるんだ、と言いたい肩までの銀髪を下でくくって、そして同じく俺の真黒の瞳とはかけ離れた檸檬茶色の瞳は異邦人の印象を受ける(しかし俺と同じ日本の生まれらしい)
全体的に真白の雪のような儚い風体をしているのだが、来ているモンが死人が着るアレと同じくらい真っ白けっけで、こうやって明かりが多いとはいえ薄闇に立たれるとマジ物みたいで此方には辛い
しかも無駄に顔がいいから余計見えてしまうから困りものだ
「今日も小間使いかいのぉ」
「はい、真田の旦那からのモンをちょっとね」
「コラコラ、小間が主人の用事ばらしちょったらいけんね、忌野もまだ表に出られるような生き方はしちょらんじゃろ」
てい、と仁王サンは長い指で俺の額を弾く
白くて長くて、細い指
俺にそっちの気はないがこの指でどれだけの女と男を喘かして来たのか、と思う
……
は!何か俺変なこと考えてたような気がする!!
遠くに離れた意識を戻すと仁王サンはにやにや笑っていた
嫌な笑みだ
「それとも小間とは仮の姿で、本当はあの美人さんの陰間やっちょるんかいな」
「いやいやいや!何をおっしゃる仁王サン!」
「照れんでもええよ、ふむ、少ガタイのいい美人サンでもあの顔は美味しいじゃろ、聞くところによっちゃ双子の弟君に懸想しちょう聞くけんが――」
「一寸待て!」
俺はべらべらと珍しく饒舌な仁王サンの肩を掴んで揺さぶった
横目で通りの端を見ると花魁連中が此方を見てくすくすと笑っていた
……目立つモンなぁ、そもそも仁王サンはここ一番の御人だし
俺は額から湧き出る脂汗を感じながら仁王サンに言った
「俺と旦那はそんな関係じゃ…」
「ハズかしがらんでもええけん、というよりこの界隈で童貞処女がおるかいな」
「俺です!そしてうちの旦那です!」
「ほう、てっきりもう抱いたと……」
「抱きません!俺は女がいいです!女じゃないと勃ちません!」
「のほほほー、じゃ、抱かれたか」
「抱・か・れ・て・ま・せ・ん!」
腹の其処からそう叫ぶと、仁王サンはわざとらしく目をぱちくりと開ける
何だか嫌な予感がして、俺は仁王サンの肩から手を放したが遅かった
少し引いた俺の体に、にゅるりと仁王サンの腕が誘うように首に絡み付いて来る
……変な気なんて起こらないからな!頑張れ俺!!つーか恐!!
「勿体ないのぉ、忌野の旦那はここいらの花魁に大人気じゃけぇどいつもこいつも自分の店に来させようと必至なんじゃよ?」
「……まぁ旦那は顔はいいし、背も高いし、美男ですけどねぇ、冷徹で残忍で刀大好きで恭介さん愛ですからねぇ、顔いいけど」
「おまけに男色じゃ」
「否否、旦那は女に興味がないだけですよ、男色なんて変な噂がたっちゃ客がこなくなるから勘弁してせぇよ」
「ほう、春画から歴史モンまで揃う古本屋の旦那が男色じゃとてなんも客は構いはせんよ」
「……だーかーら、こんなトコまで本買いに来る阿呆は居らんでしょ?本家の事もあるからでしょーが何も花街で商売やる事はないのに……、旦那は商売が下手糞なんですからね、旦那目当てでやってきてくれる女郎さんが派手に金を作ってくんないと旦那も俺も飢え死にしてしまうんです!」
「なるほろ、女の体は見飽きとうわけか」
つぅ、と仁王サンは俺の喉を指でなぞる
そして近づいてくる艶かしい顔
心の臓が跳ね上がると同時に俺はごくりと唾を飲む
下半身が熱くなるのは気のせいか、否か
とりあえず、俺は振り払うように慌てて叫んだ
「そ、そういう仁王サンだって、知ってますよ俺!」
「ん?何をじゃ?」
「江戸城下は七つ町の外れの幽霊長屋!愛しい人が居るって!!」
「ほう?誰じゃろ?」
べろりと仁王サンは舌を出す
こんな往来で勘弁してくれと思いつつ、俺は言葉を繋ぐ
「ホラ、藪医者の柳生って奴、あの仁王が通い妻してるって噂!!」
「あそこは俺んうちじゃ」
「え、同せ」
「阿呆、お前らじゃあるまいし」
仁王サンは俺を一瞥して、ふうと息を吐いた
「俺の恋人はあんな偏屈じゃなァに、もっともーっと美人じゃ」
「さ、際ですか」
「それにあんなヤキモチ妬き相手に花魁なんてやれるわけにゃーよ、お前の旦那と同じでナ」
「――」
じわり
いつのまにか握り締めていた掌に汗が滲む
懐の届け物がうずいたような気がした
「旦那は抱かれたいんかのう、それとも抱きたいんかのう?」
「だから雹は!!」
「しらばっくれんな、しっとお癖に」
「な……何のことやら」
「惚けんしゃいな」
にっこりと仁王サンは笑って俺の首から腕を取って、また指を一本出して俺の輪郭をなぞった
……絶対からかわれてる、絶対絶対からかわれてる!
ホントにホントに!!童貞で処女なんだから勘弁してほしい
「お前は若いし顔も悪くはない、いいガタイとは言えんがそれなりに背が高いし、何より気立てのいいお前をどうしてあの女連中がほっとくと思う?」
「……金ですかね」
「阿呆ゥ」
べしり、と仁王サンは俺の額を叩く
じんわりと額が痛む
「好奇心からお前を誘ったばっかりに、冷徹で残忍でヤキモチ妬きな忌野の旦那に切られかけた六道の店の女のようになりとうないらしいけんね」
俺もなりとうないわ、そう言って仁王サンは踵を返して大通りを北に歩いていった
別れの言葉はなかったし、仁王サンが歩いて行った方向は俺の行き先と反対の方向だった
多分今から仕事だろう、きっと今日はもう会わない
俺は最後まで真っ白な背中を見送って、それから懐に手を突っ込んで一つの半紙を取り出した
あの蛇のような腕が体から離れたときに、こっそり入れられたものだ
中身には想像がついたし、それに一度冗談で六道のトコの犬に貰ったのと同じ粉末の見たことが有ったが、俺は半紙を捲って中身の粉末を嗅ぐ
夏だからか、否、何故か体の芯から火照上がった
――これは、媚薬……
……あの銀ネコは俺に童貞を捨てろと言っているのか、それとも腹を括れと言っているのか
少し考えたが俺は止めて、その粉末をわき道の溝に半紙事捨てた
俺はそんな想いで、旦那の傍にいるわけじゃない
旦那が俺を望み、俺も旦那を望んだから傍に居る
……まぁそれが周りにじれったく映るのは仕方ないがまだほっといて欲しい
今の俺には必要ないし
そんな言い訳もしてみた
「……そんな訳で、帰ろうか」
ざりざりと土を踏みしめ、甘い香りの中を歩く
誘うような眼差しと虚構の間をすり抜ける
草臥れた草履は俺を旦那の下へと運んでいく
あの寂しくも尊大で脆い、真っ白な旦那の下へ
これからも、傍に
これ以上に、傍に
いつか、愛の言葉をいえるなら、それでいいと思うから
「……実は後悔しちゃったりして」
本音を嘘を織り交ぜて
毒に蝕まれた俺は大通りを足早に南へと歩を進めた
end
江戸パラレルMIX(後)ジャスティス裏編
ちょろっとえっちぃBLにつき、隠し中
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