「忍足さん、結構楽しそうに毎日を送っています」
長く、染髪なんて一度もしていないと言わなくてもわかる真っ黒な髪を飾り気の無いゴムで一つに纏めて白のバレッタで束ねていて女性にしては身長は高めで痩せているが、何故かスマートというよりひょろっちいという印象を与えている
きっとメラニン色素を全て殺ぎ落としたような真っ白い肌と少し不似合いなダークスーツのせいなのだろうと忍足は思っている
どこに行くにも片手には何かの書類、視力が悪いらしいがメガネもコンタクトも嫌いらしくていつも目を細めてこちらを見る
事務所創立から跡部(と樺地)と一緒に歩んできたという彼女は、事務所で唯一の女性マネージャーだった
「楽しそうってなんですかいな」
「そのままです」
撮影の帰り道、まだまだタクシーなんて豪華な事を言ってられない環状線の電車の中
終電ということもあって中はガラガラで彼女の声はよく響いた
「楽しくないのですか」
「……」
自分達以外誰も居ない電車内で、――自分にまるで寄り添うように座る彼女の驚いた顔を忍足は見つめながら考えた
楽しくないのか、演じる事が
――楽しくないといったら嘘だ、今日だって2時間ドラマの死体役を演じるためにこうやって朝早く地方までやって来た
朝5時に起きて、始発の電車乗って、自殺の名所の2つ手前の駅で降りてこの暑い夏ン日に屋根の無い場所で半日待たされた
だらだらと流れる汗は滝のように止め処なく溢れたし脱水症状で倒れるかとも思った
それでも忍足はじっと見つめていたのだ
流れる汗も乾いていく喉も全部無視して撮影風景を
主役と、それからその相手役
真剣に、そして楽しそうに演じる二人をじっと見詰めていたのだ
「……楽しい、かもしれませんね」
「だったら良いじゃないですか」
「……でもなぁ」
「大丈夫ですよ」
東京ー、東京ー、次の駅は東京ー、とアナウンスが流れる
今日は台詞もなかった、連続殺人鬼の一番初めの犠牲者でOPで殺される役
出番は直ぐに終わったしかし忍足は帰らなかった
見ていたのだ、蒸し暑い夏の中を暑さなど感じさせない役者達を
自分とは違って真剣に演じる役者達
羨ましく、思った
「それは違いますよ」
彼女は笑う
馬鹿にしているような、可愛がっているような不思議な笑みだった
「主役と、それから相手役、自分と違って台詞も名前もある二人が羨ましかったんですよ」
「……ハァ」
「楽しいんです演じる事が、でも楽しいって認めてしてしまえば今まで大阪で頑張っていた自分が無駄になるからでしょう」
「………」
誤解しないで下さい、と彼女は言った
「人生に回り道なんてありませんよ」
「人生ねぇ……大きく出ましたね」
「ある人によると私たちが今この場所に生まれた意味なんてないらしいんです」
「……なんとも哲学的ですねぇ、俺にはわかりませんわ」
「スタートも無いしゴールも無い、ただ生きて死ぬ、その中で一生懸命頑張って生きることが大切なんです」
「ほぅ」
「だからただ歩いていく、心臓が止まるまで、その間に美味しいご飯や温かい布団や譲れない想いや好きな人があれば最高なんですがね」
それが思うより難しい、と彼女は言う
俺は首をかしげた
「忍足さんが今までどれだけ失敗し敗北し失恋し後悔して落ち込んで八つ当たりしてまた落ち込んでどうしようもなく情けなくみじめったらしい人生を歩んでいても」
「…そ、そこまで俺は見た目酷いですか」
「今の忍足さんにはそれが一つでも欠ける事さえ良しとしない、今の忍足さんが忍足さんであるためにはそれらが必要不可欠だったんです」
「………」
「見たところ、いや、見なくても結構頑張っちゃってるじゃないですか」
忍足はいつのまにか手を握り締めているのに気付いた
じんわりと汗が滲む
普段、ポーカーフェイスを売りと(されて)している身としては可笑しいくらいの昂揚だった
どきどきして、頭はぐらぐらした
思い出すのはテニス
中学から始め、高校で終わった大切な思い出
使い古したラケット、古びたボ―ル、草臥れたテニスシューズ、誇りまみれのレギュラージャージ、紫色の髪のパートナー
いつのまにか色あせた思い出
心を熱くし、昂揚感に満ち溢れた自分がいた
「目指す者は違っても目指す場所が同じなら、そこからまだ先を歩きつづけられるなら、うだうだとぶちぶちとごねている場合じゃないですよ」
駅に着いた
ドアが開く、彼女は椅子から立ち上がり、これ暇なとき見てくださいね、と今まで持っていた書類を忍足に渡した
そして開いたドアに吸い込まれていく
自分も降りる駅だ
「俺は、頑張れますか」
駅のホーム、階段に向かおうとしている彼女に尋ねる
ドアの前
自分は降りずに彼女を見つめる
彼女は振り返った
「私は、一生懸命頑張ってる人が大好きです、どんな形でも真剣になって頑張っている人が大好きです、頑張って頑張って、失敗して、それでもめげずに突き進もうとしたりがっかりしたり落ち込んだり泣いちゃったり、また突き進もうとしたり、かっこよくアホやってたり、そんな結構馬鹿な人が好きです、応援したくなるし、声をかけたくなる、たまに休ませたくなる、見詰めつづけたくなる、愚痴だって聞きたくなります」
結構マニアックな性格してるんですね、と忍足は突っ込みかけた
「いつだって、慰めてあげますよ」
マネージャーですからね
ドアが閉まった
流れていく景色
彼女が遠くなる
「待――――」
そこまで言って忍足は言葉を切る
一息ついて、忍足は今まで座っていた席に座りなおした
膝に頭を埋める
「ふ」
笑った
苦笑だった
「ふ、ふはは、あははは……」
それでも、愉快でしかたなかった
手の中の書類がくしゃくしゃになっていく
それに気付いて顔を上げる
書類を開けると、今度やる連続ドラマのオーディション通知だった
「………俺は、頑張れるんかな」
彼女が言うように、目指す場所から先もずっと
歩いて歩いて、たまに休んで、愚痴とか言って
目指した場所と違う場所にたどり着いても
歩きつづけることが出来るのだろうか
諦めずにダダをこねずにずっと
目指す場所へ、心臓が止まるまで
大人になっても、忘れずに
「俺は――」
そんなもの
自分だけが知っている
「でけたよー」
綺麗、というより使われていない簡易キッチンからリビングの彼女に呼びかける
片手にはフライパン、中身はタマゴ炒飯
呼びかけて数秒
聞こえていないのか聞いていないのか答える力が残っていないのか返事はなかった(きっと3番目だ)
お皿に盛って出ようと思ったがこの部屋には皿が無い(あっても紙皿だ)
かろうじてあったタオルを片手に持って忍足はリビングへ向かった
――あれから
忍足侑士は芸能界で歩きつづけている
今まで受けた事のないオーディションにも挑戦し、そして敗れた
通算100以上のオーディションを受けて、2,3個受かって、その中の1つが朝の子供向けのヒーロー役だったり連続ドラマの探偵役だったりした
その一つ一つを演じる事が楽しくて、そして奥が深い、ちらほらファンも出来た
演じてきた役により『クールなポーカーフェイス』という役柄が板についてしまったのが少々残念だが、とりあえず忍足は歩いている
「炒飯やで、ホラ、起きて」
「………」
リビングに鎮座する埃の溜まった机に突っ伏すように倒れる彼女の前に炒飯を置く(勿論先に机を布巾で拭いて)
ぴくり、と反応するところを見ると意識はあるのだろうが起き上がる気力もないらしい
いくら今週は仕事やなんやで辛かったとはいえ、このダレ具合はどうだ
家事は得意ではないと言っていた彼女の荒んだ食生活ッぷりは想像できるがどうやらエネルギーが本格的に切れたらしい
「俺もせっかくのオフ日なんやけどなぁ」
寝ているのか気絶しているのか、彼女の閉じられた瞳を見つめながら忍足は苦笑する
彼女はマネージャーから忍足専属マネージャーとなった
一応忍足は今や跡部事務所の稼ぎ頭となっているので当たり前の事なのだが、彼女は仕事面ではとても優秀で忍足の支えとなっている、無論精神面でも
変な意味ではなく忍足のパートナー的な存在なのだ
「別に変な意味でもいいんやけど」
机の上にタオルを置く、その上にはフライパン、中身は炒飯
大阪時代から料理を作りつづけているので味はおりがみ付き
冷めると美味しくない程のレベルではないが、温かいうちに食べて欲しい
本格的に三途の川を渡り始めた彼女の頬を叩き、忍足はもう一度完成を告げた
久しぶりのオフ日、自宅から3つ先の町の彼女のアパートで炒飯を作る
その理由が「忍足さん、いいお嫁さんになれますよ」と自分の料理を食べるたびに呟く彼女の一言にあることを忍足はまだ黙っている
忍足侑士、24歳
職業跡部プロダクションの新人俳優、希望は芸人、野望はお嫁さん
夢はみんなを笑顔にする事
そんな感じで人生
歩いて悩んで、たまに止まって愚痴って休んで悩んで遊んで、また歩く
美味しいご飯に温かい布団
譲れない想いに好きな人
忍足侑士はまだまだ歩みつづけている
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