約束をしよう、お前も俺も守る約束を。
「――触らないで」
確かにお互い神という存在であるが、だからと言って仏のように悟りが開けているわけではない。ムカツクこともあれば、泣きたいときもあるし、まだまだ知らない不可思議なこともたくさんある。
この守矢神社に住む諏訪子と神奈子も右に同じで、神様だけど動けば腹も減るし、一緒にいれば仲違いもする。そもそも神とはいえ、性格が対極にいるような奴と仲良くし続けるのは難しいのだ。
よって諏訪子も諏訪子と神奈子が喧嘩することは珍しくない。その理由は様々であるが、主なものは諏訪子の構ってに神奈子が癇癪を起こすこと。
しかし喧嘩と一口にいえども昔のように大戦争を繰り広げるわけでも、弾幕をぶつけ合うわけでもない。ただ怒った神奈子が諏訪子を無視し、諏訪子も負けじと神奈子に背を向けるという比較的平穏である。間に挟まれる早苗はたまったものではないが、お互いを破壊するためだけの弾幕合せんよりはマシだ。
ただ諏訪子は神奈子が諏訪子を無視するからそうするのであって、背中越しに彼女の機嫌が治ることを確かめている。性格は合わないが、諏訪子は神奈子を嫌ってはいない。神奈子もたぶん同じ。
性格から見れば幼さが混じるのは諏訪子であるが、頑固さや大人気なさは神奈子が勝る。毎度毎度神奈子がさも当たり前のように我を押し通すので、諏訪子が負けてしまうだけなのだが、
「聞こえなかった?触るなっていってるの」
神奈子の眉間に皺がよる。
平素より容赦のない瞳に思わずたじろいだ諏訪子であるが、今、何故、神奈子がここまで怒るかわからない。
いつものように遊べと迫ったわけでも、早苗を貸せとねだったわけでもない。わがままも言わず、一人でおとなしくケロケロケーと遊んでいた。
ただ一人遊びの途中、普段はよりつかない守矢の神社の庫にふらりと立ち寄っただけ。その中で見つけた箱をちょっと開けてみようとしただけ。
諏訪子が見つけた箱はその名の通り箱で、何の変哲もない薄汚れた箱だった。表にすら何も描かれておらず、時が経ちすぎたのか茶色に変色していてかなりばっちい。よく見ると金粉のような跡もあるが、それでも神奈子が好む派手さや華美はない。
ただこの箱はそこらに放置されておらず、柔らかそうな緑のクッションの上に大事そうに置かれていた。
ゴミやがらくたでは無い様子。だから諏訪子はこれを早苗のものだと勘違いした。そもそも庫に置いてあるのだから、神奈子か早苗のどちらかのものだと思ったが、まさか神奈子のものだったとは。
早苗も私物をいじられれば怒るが、神奈子のように激しくはない。それに早苗は一度謝りさえすれば許してくれる。
諏訪子が大きな瞳でじろじろ見つめ、呪いやまじない、封印の類いが無いことを確認し、さあ開けようとフタに手をかけたところで冷たい神奈子の声が庫に響いたのだ。
「……あ、うー」
諏訪子が言いよどむ、苛烈さを増す神奈子の瞳。
文字通り蛇に睨まれた蛙状態になった諏訪子に神奈子は舌打ちをし、固まる諏訪子の手から箱を奪う。
乱暴な手つきだったが、触れたとたんに、箱に対する気遣いが指先に見て取れた。
しかしそれも束の間、すぐさま諏訪子を神奈子は捕らえた。
「開けたの?」
「え」
「これを開けたかって聞いてるの、トロ臭いわね」
神奈子が苛立たしげに、腕に抱く箱を見やる。開けるもなにも、諏訪子の見立てでは鍵も封呪もされていないただの空き箱である。フタを外せば簡単に中身が伺え、今まさに開けようとしていた諏訪子に神奈子の剣幕はわからない。
要するに神の常識でいえば『開けられたくなければ鍵なり封印なりするべき』である。ついでにもっといえば『鍵も封呪もしていないフタが開いていないんだから、開けてないとわかるだろ』。
しかし目の前の神奈子に言えるはずがない。ただ喉の奥から出て来た言葉は「開けてない」の一言だった。
諏訪子の言葉に神奈子は、そう、とだけ言い、箱を元の位置に戻し、雷が落ちることを危惧する諏訪子をほって庫から出ていった。
一人カビ臭い庫に置いてかれた諏訪子は目をぱちくりさせ、同時に身を固めたが、弾幕はおろか、罵声さえ飛んでこない。そのまま尻餅を付いてぼーっと神奈子がとうに去った後を見つめていると、箒と塵取りを持った早苗がやってきた。
「わっ諏訪子様。こんな場所でどうされました?」
真面目そうな顔が小さな驚愕に揺れているが、心底諏訪子を気遣う声。一人ぽっちの(しかも神奈子に置いていかれた)諏訪子の心にそれは温かく染み渡り、諏訪子は思わず早苗の胸に飛び込んだ。
「そんなことがあったんですか」
けろけろ泣いて離れない諏訪子をなだめすかし、台所に運んでお茶を淹れる。諏訪子が早苗に泣きつくのは普段と変わりないから、ここまでスムーズに事は運んだ。
問題はこれからである。
「かなこが……」
怒ったの。けろろーん(↓)と寂しげに鳴く神様に風祝は眉をハの字にする。
神奈子様を怒らせるなんて日常茶飯事だろうに、嫌われた嫌われたと嘆く諏訪子に苦笑し、そっと茶菓子を差し出した。
「……にしても、箱というのは緑のクッションの上に置いてあったものですよね」
こくり、と首を動かす諏訪子。ちなみにあれからあの箱には触っていない。触れるものか、と諏訪子は思う。
ダメだ、こりゃ。神奈子の本気に当てられて意気が回復しない諏訪子に早苗はぽりぽりと頬をかく。
確かに庫を勝手に弄った諏訪子は悪い。だがそれは『掃除したのに散らかされては困る』程度のもので、庫への出入り自体は自由だ。それに庫にしまうものなんてほとんどガラクタ。諏訪子が弄ろうが、どこぞの白黒魔女が持っていこうが構わない、いや構うけど。
早苗はふうと息を吐いた。
その仕草に諏訪子の肩は揺れるが、溜め息の原因は神奈子の方である。
見られたくないなら自室にしまえばいいし、触られたくないなら手元に置けばいい。意地を張らずに、大切に大切に扱えばいいのに。
それなのにあんな鍵もかからない庫に放置して、今もそこから動かさない。そのくせ専用クッションなんて用意する、――代わりに早苗がハタキでホコリ払えば、烈火のごとく怒るのだ。
何百年たっても変わらない神様の所業を思い出し、早苗はどっと疲れた。そしてその中でも衰えない小さな可愛げに目尻を緩ませる。
「さなえー…?」
諏訪子が首をかしげる。早苗は諏訪子に笑顔を向けた。
「あれは神奈子様の思い出の品ですから」
「あの箱が?」
ずずーと茶をすすり、早苗は頷く。
「正確にいえば箱の中身です」
諏訪子は、はて?と首をかしげた。諏訪子は箱を開けていないが、あの箱に中になにかが入っているような重みはあったか?たぶんない、ような気がする。そんな諏訪子の不思議そうな顔に早苗は笑う。そして少しだけ顔に暗を落とした。
――早苗、
「忘れる前に思い出す、思い出して悔しくなる。それなのに思い出を捨てられないのを、未練と呼ぶんでしょうね」
――あなたは。
「私にはよくわかりません」 なんてこっそり嘘を吐き、茶菓子を楊枝で割った。しかし上手く割れずにぐちゃりとアンコがはみ出してしまい、早苗は大きく溜め息をついた。
一たんぶちぎりー。
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